3日目 世間はクリスマス・・・

そんなことはすっかり頭の中から消えていた。
曜日や日付がこのあたりからあまり気にならなくなってきた。カレンダーもないし、スケジュールは食堂に貼ってある今日の予定だけ。規則正しい時間割を見るのみ。

それより、メキメキと自分の意識がクリアになって行き、なんだかワクワク!研ぎ澄まされていく自分が解るのだ。

今日あたり サマディーちゃうかな~~・・なんて、してはいけない期待も少々しちゃったりして~・・・

今日までの瞑想法は主に呼吸の観察だった。
鼻先から上唇のあたりまで呼吸をひたすら観察。ありのままの呼吸、コントロールしない。この方法を何十時間したことか・・・?


そして4日目
この日からヴィパッサナーに入った・・・?と思う
確か 雪が降って来た日?
京都の山奥で深々と降って来る雪
休憩の度 外に出ると白銀の世界が広がって行く~~
上を向いて 大口開けて 口の中で溶けていく雪の味・・・ちょっと泥っぽい臭いと柔らかい天然水の味。 美味しい 嬉しい

研ぎ澄まされた感覚は雪の味すらハッキリわかるまでになっていた。


ここからは体を観て行くのだ。と言っても皮膚感覚レベルから始まる。
頭から胴体 両手 両足隅々くまなく観て行く作業。
かゆい・・・重い・・・熱い・・・痛い・・・・。
その感覚をただ傍観しているだけ。だから、たとえかゆくてもかいてはいけないのだ。
かゆい~かゆい~という感覚を冷静に慎重に見続けて行く・・・やがて かゆみが消える・・・・。

そう。感覚の性質は、
 浮かんでは{現れては} 消えゆくのだ。

常に変化している現象の本質を洞察し、正しく理解する

一瞬一瞬変滅してく無常という真実をあるがままに承認していくこと。

よく感じる、経験している知覚対象をよ~く観る、
たとえ心が対象から離れてしまっても、それに気づく事。
これが自己理解を深めるカギ。

そうそう・・・なんども対象から離れ、様々な感情が浮かんで来るのを傍観することも、私にとっては楽しい時間だった。
忘れていたはずの過去の思い出。未来の予想・・・。ちょっとここには書けないような内容の想像~

怒りの感情や憎しみといった感情が湧きあがってくる人もいるようだが、私は未来の予想や過去の失態、が多く浮き出てきたように思える。この表面に浮き上がってくることをサンカーラと言う。
サンカーラもまた浮かんでは消えゆく・・・・。

アシュタンガヨガもヴィパッサナーと似ているの教えなので、私はもしかしたら 何も知らないで来た人より スムーズに作業をこなせていたかもしれない・・・・。


と思っていたのもこのへんまで~~
実はこの後から・・・・・    続く・・・。